12/8の考え事
一ヶ月検診も終わり赤子は3.3キロに。
まだ授乳サイクルは安定しないものの、寝れないことにも体が慣れてきた今日この頃。
お客様ラッシュもひと段落したので、先日友人と話した時にモヤっとした出来事について書いてみる。
友人が二人のこどもを連れて我が家に娘に会いに来てくれた時のこと。
友人のこどもは4才のお姉ちゃんと9か月の弟くん。
4才となると立派に会話ができるので大人たちと一緒にテーブルに混ざり、
下の子はお母さん(友人)が抱っこしながらのティータイム。
男の子の子育てどう?という私の問いかけに友人はこう答えた。
「いやーやっぱり男の子の方がかわいいわ」
モヤっ。
妊婦時代、お腹の子の性別の話はさんざんしてきた。
性別がわからない段階で、男の子をほしがっていた夫。
最初の子は女の子が楽でいいわよ、という母。
男の子のお母さんぽい、という同僚。
表情が柔和なままだから女の子では、という友人。
性別が女の子とわかってから、
女の子でよかったわねとうれしそうな祖母。
正直私は性別にはこだわりはなかった。
なんなら病院で聞かないままでいいかとも思っていた。
しいて言えば、男女どちらも授かったら素敵だな、というくらい。
自分が姉妹だから女の子だと勝手がわかるな~とか
姉妹だからこそ男の子を育てるのも面白そうだな~とか
それぞれに期待値が高かったので、
女だから○○、男だから○○、というのは全く思っていなかった。
周りの反応をみていて、みんなそんなに性別気にするのね、と驚いたものだった。
実際に娘を産んでからも、女の子だからかわいいとかは思わない。
男の子と比較してやわらかいとか、顔つきがやはり柔和だ、というのはあるけれど、
生物学的な性差としてしかとらえておらず、
その事象と愛情には因果関係はない。娘のことは、娘個体として愛しているのだ。
二人目もほしいと思っているが、次も性別はどちらでもいい。
男の子でも、女の子でも、その子として可愛い、愛おしいと思うだろう。
また、上の子と下の子、どちらのこともそれぞれに愛おしいと思うだろう。
私の母は、姉を産み育ててから私(妹)がお腹に宿ったとき、
二人の子どもを50:50で平等に愛することができるだろうか、と思い悩んだことがあったそうだ。
自分で意識しなくても愛情が60:40とかになってしまい、40の方の子にかわいそうな思いをさせるのではないか、と。
ところが、その悩みは私が産まれてきたときにキレイさっぱり無くなったという。
「答えは簡単なことだったの。50:50なんかじゃなくて、100と100なのよ」
先の友人の発言に私がもやっとしたのは、
・男だからかわいい、女だからかわいくない、ということに違和感があったから。
性差ではなくそれは個体差ではないのか。
・子どもを複数もったときに、どちらの方がかわいくでどちらの方がかわいくない、という思いになることに違和感があったから。
この2つの違和感と、友人の上の娘への配慮のなさへの憤りからだった。
友人は特に悪びれた様子もなかった。
4才のお姉ちゃんの方がかわいくない、という意味で言ったのではないのだろう。
ただ二人目の男の子のかわいさを彼女なりに表現した言葉だったのだろう。
仮に本当に60:40のように愛情に差を感じているのだとしても、考え方は人それぞれなので、子どもへの愛情に偏りを感じる人も実際いるのだろう。
だが、それを子どもの前で言葉にしてはいけない。
4才の子どもの感受性をあなどってはいけない。
親が自分以外の兄弟の方がかわいいと人に話す姿を見たとき、
その子はどれだけ傷つくだろうか。
大人はそこに思いを馳せるべきだと思う。
うまくまとまらんのだけれど、
未来の自分への自戒の念もこめて書いておく。