11/2の備忘録
にさんじかんおきにやはり起きる
体中痛い
会陰切開の傷がひきつれて、座るのも歩くのも痛い。
痛み止め処方してもらう。
1日ぶりに立ち上がると重力を感じて下半身が痛い。特に子宮あたりと切開した会陰への圧力が辛い。
点滴と導尿取れるとだいぶ体の緊張感が変わる
出血量はやはりかなり多かったとのこと。母は160ml、500mlいかないといいなという先生の弁に対し、1500〜1600mlほどの出血。
昼頃までは力が入らない感覚。
室内トイレまでの歩行でも冷や汗。
ご飯を食べることは超重要。
エネルギーが増える実感。
噛むと顎関節あたりが筋肉痛になってることに気づいた。いきみのせい。
午後母子同室になってからは、トイレに行くことも忘れる。
赤子の寝る泣く飲むのサイクルは思ったより短い。3時間も寝ない。1時間弱くらい?
なにしても可愛い。
泣いてる声も可愛い。
泣いてても意外と動じない自分。
おむつ、おっぱい、温度など確認できたらあとは抱っこ。
縦抱きの方が泣き止む。
呼吸が楽になるそう。
くしゃみが多いのは自然現象。
足が痙攣するのも自然現象。
足が痙攣したときはしばらく触ってあげる。それでもずっと止まらないときはナースコール。
ミルクあげたらげっぷトントンをする。哺乳瓶は空気穴を上にしてあげる。哺乳瓶は空気が入りやすいのでげっぷ必須。
タオルでしっかりくるんであげると安心して落ち着くことが多いので試してみるといい。
授乳の際母体の体勢も重要。
ものすごく力入る。授乳するごとに汗が垂れるほど。
足がつりそうになる。
緊張しすぎると出が悪くなるので呼吸気をつける。
会陰の傷をかばって変な体勢になることが多い。無理せず痛み止めを使った方が楽。
悪露はまだ鮮血かつ多い。
容量大の方のシートを使用。
水分摂取は1日2リットル目安。
赤ちゃんにかかりきりになると忘れがちなので注意。こまめに飲むこと。
点滴と導尿なくなると定期巡回がなくなる。
本日夕方〜明日朝は2回に激減した。
面会時間外は本当に1対1なので、不安に思うことや助けが必要なときはためらわずナースコールすること。
部屋から出るときは預ける。
無理は赤子のためならず。
今日は一歩も部屋から出ず。
明日は面会時間中出てみる。
部屋のカーテンは開けて光を取り入れる。
11/1の備忘録
私の体は筒と袋でできている
それを切ったり縫ったり押したり縛ったりする
産後の体は不快感の嵐
痛いとこばかり。
産卵後の鮭
でてきた子どもと接するのは母が一番遅いのではないか説
隣でボロボロの状態
涙とか感動とかそんなじゃ表せない
涙もろい自分でも泣かない。
ストーリーは排除された、生殖の行為、という気分で清々しい。
でてきた赤子を見る瞬間って、感極まって、ようこそこの世界に!的なことを思って迎えるんだと思ってた。
全然違った。
冷静。自分の体の感覚の方が先。
でたーすっきりー。お腹スカスカ。
あ、顔。青紫。酸素足りてる?だいじょぶ?
てな感じ。
声出すのは気持ちいい。
いきみ逃しが辛い。
体が筒だとしたら、中から押し広げられる感じ。
リラックスグッズとかそんな余裕ない。
父ちゃんばあちゃん力を貸して見守ってて的なおセンチも介入する隙間なし。
男性の腕力助かる。
夫の性格に本当に感謝する。
いつもなんとなく頭の片隅にいる、自分を客観視する自分が全く出番なし。存在が消える。きっとこれが本能。
子どもは愛おしい。
自分から出てきたからより一層、という感覚は今の所ない。
ただ存在が愛おしい。
なにしても可愛い。
10/31の備忘録
予定日+3日。
未だ陣痛の気配なし。
10/31の未明は新月だから陣痛くるよ!という
スピリチュアル姉の予想もむなしく?
陣痛ないまま今日も元気に赤子はお腹の中で運動している。
予定日は10/28です、と言い続けて8か月くらい。
勝手に10月生まれの子、という風に思い込んでいたけど、
予定日はあくまで予定なんだな。
ということで11月生まれちゃんになった。
週末を終えてまた平日サイクルということで、
朝夫を送り出し、さて今日はどうしようかと思っていたけど、
待ち疲れというかなんとも言えない無気力に襲われて
15時くらいまで家でゴロゴロ。昼も食べずに本当にゴロゴロ。
母からかかってきた電話で目を覚ました後、
せめて日が沈まないうちに一時間は散歩せねば、、、
と思い立ち、慌てて家を出る。
隣駅までてくてく散歩して、
新しい道とパン屋を開拓。
遅いお昼ご飯に一人ラーメン。
子ども産まれたら食べられないよ、とよく人に言われるから。
ぐるっと大回りして1時間半くらいの散歩を終えて、帰りに最寄駅にある、気になっていたカフェに立ち寄る。
古民家風の造りで、禁煙の二階席に通されると、貸切状態。
外からの見た目に反してゆったりしたスペースで、好みの書籍・雑誌が煩雑に並ぶ。
自家製のちょっとしたスイーツと紅茶を注文。
携帯はカバンに入れたまま、店にある本を読み読みゆるりと過ごす。
お店の人の絶妙にほっといてくれる距離感もよく、
久しぶりのアナログ時間を満喫。
ふと、昔飲み屋で知り合った助産師の子が言っていた、
「最近の妊婦さんは事前準備が周到で勉強熱心すぎてマニュアル脳なんですよ。お産は本能ですから。携帯とかPCとか見ないで本能で楽しむのが安産のコツです!」という言葉を思い出す。
悲しいかなご多分に洩れず自分もスマホ依存気味の生活で、妊娠出産というイベントに際してタスク管理と情報収集に明け暮れていた。
特に出産予定日控えたソワソワ感も相まって、毎日残タスクチェックと出産情報のおさらいをしてたんだけど、なぜかこの時はほとんど携帯に触らずぼーっとその空間を楽しむことができた。
ああ、これはお腹の子が、
焦らなくていいよ、ゆったりその時を待っててよ、と言ってプレゼントしてくれた時間だ。
お腹の子はきっとこう思ってる的な思想は普段あまりしないんだけど、この時は妙にハッキリそう思って、嬉しい気分で帰路に着いた。
※後日談
結局この日の夜中に陣痛きてそのまま入院、出産だったので、上記の直感はあながち間違いではなかった。
10/30の備忘録
予定日+2日。
まだ陣痛はなし。
予定日から一週間経っても陣痛が来なければ、
入院して誘発剤を使うことになるので、
来週金曜〜土曜には確実に産まれてくることになる。
ということは、昨日今日が夫婦二人だけで過ごす最後の週末。
(厳密には最後じゃないと思うけど、これからしばらくはない、という意味で)
去年の春に父が亡くなって、
夏に一緒に住もうという話になって、
秋にお互いの家族と挨拶して、
冬に一緒に暮らし始めて入籍して・・・
今年の結婚記念日は3人家族でお祝いだ。
まさか結婚して1年経たずに子どもが産まれているとは思っていなかった。
妊娠してからのことをつらつらと思い返してみると、ややのろけのようだが、
人生を共に歩む・家庭を一緒に作るパートナーに本当に恵まれたと思う。
夫のこんなところが良いなぁ、という点。
・好奇心旺盛な人で、未知を楽しむというのが基本的なスタンス。
→妊娠・出産は、ともすれば女性側だけが当事者になりやすいイベントとも言えるが、全くそんなことがなかった。また、私自身も体・生活の変化やお産本番に対して、不安よりも楽しさを多く感じられたのは彼のおかげ。
・個だったり自立性を重んじるところ
→幼い子どもが犠牲になる事件のニュースを目にして「子どもがこんなことになったら私生きていけるだろうか」というようなことを言った私に、「万が一、うちの子が事故なり何なりで不幸な目に遭ってしまったとして。その子の人生がどうか、という事と君が君の人生を生きるということはまた別の話。子どもに先立たれた=自分が生きていても意味がない、ではない」というようなことをとても冷静に語っていた。
親子であってもそれぞれ別の人生、と改めて腹落ちした。
・説明好き。するのもされるのも。
→妊婦検診には一度もついてこなかったけど(ついてきたところで結果は変わらないので、私自身付き添いはいらない主義)、検診結果や母子の状況については細かいところまで説明を求める。説明することで、私も一度聞いた医師の話への理解度が深まったし、毎回もやもやする点を残さないよう問診の時に臆さず質問できる姿勢になった。
・ちょっとドライ。現実的というか。
・自分や私の両親のことも含めて家族を大事にする。
→だから当然子どもも好きだし、産まれてくる子どもへの責任感もある。
(当たり前のことだけど、これが感じられない人が多いのも事実なのであえて)
・優しい。表面的な優しさというよりも、厳しさも含めて。
他にもいろいろだけど後で加筆しよう。
友達だった頃からなぜか漠然と、
この人の人生を見届けたい、と思っていた。それがどういう関係性の上であっても。
その思いが叶うかどこまで叶うかはわからないけれど、少なくとも今、自分の側に彼がいることに、幸福を感じている。
胎動(10/25の備忘録)
39週と3日。
予定日まであと4日。
臨月になると赤子の頭が固定され
胎動が減っていく人も多いという話もあるが、
うちの赤子さんは本日も絶賛大運動会。
ぽんぽん蹴るからぽぽちゃんなんて呼んでいるものの、もはやぽんぽんなんて可愛いものではなく、ゴゥンゴゥンって感じで力強く動く。
肋骨も恥骨も蹴られたり圧迫されたり、ある意味母体は散々である。
6月に初めて感じてから今まで、途切れることなく感じてきた胎動。
赤子が大きくなるにつれて当然動きは大きくなり、
外から見ても波打つお腹がわかるぐらいになっている。
胎動を感じるといつも思うのが、
「自分ではない生き物が、自分の体内に今まさに生きている」という実感。
当たり前のことなのだけど、
この子と私は違う生き物である、ということが本能的にクリアになる。
妊娠する前のイメージでは、妊婦期間に胎動を感じて、
お腹の赤子に話しかけるという行為は、
もっと母子一体感を醸成するようなものなのかと思っていたが(※)、
実際は逆で、よりお互いが別個体であることを強く認識することになった。
※母子一体感を感じられなくて不安だ、という話ではなく、
個と個の対話、という意味で、赤子に話しかける時間はとても幸せな時間だ。
そもそも母子一体感はそんなに必要だとは思っていない。
子を守る責任感と一体感は別物だと思うから。
「子どもは自分の分身」という感覚とは、この先も無縁だなぁきっと。
もともと、結婚や出産が現実的な年齢になった時から漠然と思っていたのが、
・子どもが産める体なのであれば、一度は自分で産んでみたい
・自分で産む産まないは別として、子どもを育てたい
・自分で産んだ子と、他の人が産んだ子を(新生児から)育てた場合では、
あまり自分の子どもへのスタンスが変わる気がしない
ということ。
出産の体験自体は経験してみたいが、自分で産む、ということにさほど執着はしていなかった。
もし自分の体やパートナーの体が原因で子どもを望めないとしたら、
里親登録をして子どもを引き取って育てたいと思っていた。
(もちろんパートナーの同意を得た上で、の話)
今現に妊娠して出産の時を控えていても、なお、
雌である自分はこの体を次世代の個体にリソースとして一部提供しているが、
そこにあまりストーリー性はなく、
生殖機能のうち自分がそこを担っているだけ、という感覚が常にある。
ようは、「私」や「パートナー」の遺伝子に拘るのではなく、
大きく捉えて「ヒト」という種の遺伝子を次世代に繋げる、というところに
貢献できれば良い、という思いがどこかにあるのだと思う。
と言いながら、好きな人の子どもを産み、この先、共に育んでいく、という
ことが予定されている今の自分の状態は、最高に幸せだなぁと思う。
胎動の話から若干それているが、
赤子にお腹を蹴られながらそんな幸せに浸る日々。
10/28の備忘録
予定日当日。
雨が降り冷え込んだ1日。
前日の検診で経過順調と確認できていても、
予定日通りに産まれることの方が稀とわかっていても、
やはり落ち着かない。
今日産気づいたら多分産まれるのは土曜日で
そしたら夫も土日ゆっくり病院来られるし
一番タイミングいいなー、とか
保育園の事があるから今月中には産まれてほしいなー、とか
いろいろ思い巡らせてふと気づく。
それ全部大人の勝手な都合だから。
仕事とか制度とかから逆算した都合で、
出産という身体的な話とは
全く相反するところから出てきてるもんだから。
予定とか、効率とか、何が得で何だと損だとか、
つまらないことに縛られてるなぁ自分、と失笑してしまった。
ごめんよ赤子。
君の思うがままに。
出てきたくなったら出ておいで。
会える日を楽しみにしているだけよ。
2/27の回想録
2016/2/27
本来なら生理が来ているはずの日から3日ばかり経った日のこと。
くるはずの生理がこないという事態に、
イライラしたようなソワソワしたような心境だった。
夫が言う、「それ、絶対子どもできてるって。調べた方がいいって。」
というセリフになぜか反発したくなり、
「まだわかんないもん。インフルエンザとかで体調悪かったし。決めつけないでよ!」
なんて 言い返すというやりとり。
結婚して二か月くらい経過していて、
結婚式の予定も決まっていて、
夫も私も子どもを望んでいて、
だから当然避妊もしていなくて、
今思うと反発する理由なんて何もないのだけど。
「そんなはずはない」というか「まだその時ではない」というような思いがあった。
それは、子どもを望んでいない、ということではなく。
前年の5月に突然父を亡くし、
そこからプロポーズ(もどき?)、両家挨拶、引っ越し、入籍、と
自分でも予想していなかったスピードでことが進んできたことに対して、
「ちょっと一息つかせてほしい」というのが正直な思いだった。
自分の意志ではない大きな流れに押し流されそうな、
焦りのようなものを感じていたのだろう。
子どもを欲しがっていた割に全く前のめりではない私の態度に、
夫はさぞかし戸惑ったことだろうと思う。
週末を待って、二人で検査薬を買いに行った。
検査自体は妻に任すというスタンスの人も多いと思うが、
検査薬を選ぶ・買う、というところから参加したがる好奇心旺盛な夫。
今思うと、夫のこの性格は本当にありがたいと思う。
家に帰って検査結果が出た瞬間は、
それまでの焦りや漠然としたイライラは嘘のように晴れて、
「ああ、待ち望んでいた、母になる道が始まったのだ。」とストンと気持ちが落ち着いた。
高揚感とも違う、
覚悟とも違う、
穏やかに自分の足元に根を下ろし、
広げていく感覚。
その日の夜は、夫がお祝いしようと言ってくれて、2人で美味しい中華で祝杯をあげた(もちろんノンアル)。