胎動(10/25の備忘録)
39週と3日。
予定日まであと4日。
臨月になると赤子の頭が固定され
胎動が減っていく人も多いという話もあるが、
うちの赤子さんは本日も絶賛大運動会。
ぽんぽん蹴るからぽぽちゃんなんて呼んでいるものの、もはやぽんぽんなんて可愛いものではなく、ゴゥンゴゥンって感じで力強く動く。
肋骨も恥骨も蹴られたり圧迫されたり、ある意味母体は散々である。
6月に初めて感じてから今まで、途切れることなく感じてきた胎動。
赤子が大きくなるにつれて当然動きは大きくなり、
外から見ても波打つお腹がわかるぐらいになっている。
胎動を感じるといつも思うのが、
「自分ではない生き物が、自分の体内に今まさに生きている」という実感。
当たり前のことなのだけど、
この子と私は違う生き物である、ということが本能的にクリアになる。
妊娠する前のイメージでは、妊婦期間に胎動を感じて、
お腹の赤子に話しかけるという行為は、
もっと母子一体感を醸成するようなものなのかと思っていたが(※)、
実際は逆で、よりお互いが別個体であることを強く認識することになった。
※母子一体感を感じられなくて不安だ、という話ではなく、
個と個の対話、という意味で、赤子に話しかける時間はとても幸せな時間だ。
そもそも母子一体感はそんなに必要だとは思っていない。
子を守る責任感と一体感は別物だと思うから。
「子どもは自分の分身」という感覚とは、この先も無縁だなぁきっと。
もともと、結婚や出産が現実的な年齢になった時から漠然と思っていたのが、
・子どもが産める体なのであれば、一度は自分で産んでみたい
・自分で産む産まないは別として、子どもを育てたい
・自分で産んだ子と、他の人が産んだ子を(新生児から)育てた場合では、
あまり自分の子どもへのスタンスが変わる気がしない
ということ。
出産の体験自体は経験してみたいが、自分で産む、ということにさほど執着はしていなかった。
もし自分の体やパートナーの体が原因で子どもを望めないとしたら、
里親登録をして子どもを引き取って育てたいと思っていた。
(もちろんパートナーの同意を得た上で、の話)
今現に妊娠して出産の時を控えていても、なお、
雌である自分はこの体を次世代の個体にリソースとして一部提供しているが、
そこにあまりストーリー性はなく、
生殖機能のうち自分がそこを担っているだけ、という感覚が常にある。
ようは、「私」や「パートナー」の遺伝子に拘るのではなく、
大きく捉えて「ヒト」という種の遺伝子を次世代に繋げる、というところに
貢献できれば良い、という思いがどこかにあるのだと思う。
と言いながら、好きな人の子どもを産み、この先、共に育んでいく、という
ことが予定されている今の自分の状態は、最高に幸せだなぁと思う。
胎動の話から若干それているが、
赤子にお腹を蹴られながらそんな幸せに浸る日々。