日々日々ほぼほぼ数珠つなぎ

気楽に綴る日記です

2歳児ワーママのひとりごと

復職して一年ちょっと。

 

ようやく毎日ご機嫌に過ごすことができるようになった。

 

帰宅後もタスクに追われてイラつくこともなく

こどもと一緒に寝落ちしてしまっても特に問題なく

まあいいよね毎日笑顔でいられるからね

と言える日々のなんと尊いことよ。

 

直近で仕事に追われていないのはもちろんだけど

一番大きいのは仕事における自分の肯定感のように思う。

 

復職して最初のころは周りからの評価の目が怖くて

全然できてない気がする、とか、

間違えるのが怖くて発言できない、という状態で仕事していた。

今思うと何をそんなに恐れおののいていたのか。

 

ある程度時間を重ねた結果なのか

やってきた仕事の積み重ねなのか

周りからのFBでようやく組織に貢献できている実感が湧いてきて

復職1年たったあたりから心はだいぶ穏やかになった

慢心せず、ひとつひとつやれることを積み重ねていこう

 

 

こどもの第六感

こどもとお風呂にはいっていたら

 

何の脈絡もなく突然こどもが

「おねえちゃんになるの」

と言い出した

 

 

これまでも何か新しいことができるようになったり

親に褒められたタイミングで

「おねえさんになったの」と誇らしげに言うことは多々あった。

 

でもこの日の発言はいつもとちょっとニュアンスが違う様子。

 

こどもの第六感なんだろうか。

ふしぎふしぎ。

もうすぐ半年

復職してもうすぐ半年。


あっという間のような長かったような。
毎日をとにかく乗り切る、というド短期視点でなんとか過ごした。


気づいたこと、改めて肝に銘じたことなどつらつら。



とにかく1番大事にしたのは
娘に対して罪悪感を抱かずに働き続けること。
楽しむレベルまではいかないまでも、
娘に申し訳ないと思いながらでは、
私は働き続ける意味がない。続かない。

働き続けるためには、育児の時間を削るのではなく、育児優先でのベストなバランスを探ることが重要。私にとっては。

娘に罪悪感を持たないポイントは何か。
まずは、自分の精神状態が安定していること。振れ幅が小さいこと。
そのためには睡眠と栄養とスキンシップが大事。特に睡眠。

保育園に預けてること自体には罪悪感はない。保育園を信用しているし、娘にとって刺激のある良い環境だから。

その分、平日の帰宅後や休日一緒に過ごす時間で、どれだけ向き合っていられるか、がポイント。
構われず寂しがらせるくらいなら、家事は手を抜く。
一人で遊んでても問題ない、夢中で遊んでるときは、目を配りながら家事をする。
時には一緒に、洗濯物たたんだり、お風呂掃除する。

家の中が目立つくらい不潔だったり片付いてないと、それはそれで平日帰宅時にストレスになる。
頭の片隅に、これ片付けたいのにできない、が積もると精神衛生に良くない。
思い切って平日はやらない、週末に一気に片付ける。
週末なら夫が娘と遊んでくれてる間に気兼ねなく家事ができる。

○○しないといけないのにできない、という思考が一番自分を追い詰める。
本当にしないといけないのか、最低限のラインはどこか、を一度問い直してみる。

夫が帰ってきたタイミングで全ての料理が並んでなくてよい。
お風呂上がりのタイミングでミルクが出来上がってなくてもよい。
手を借りるものはやってもらえばよい。


半年でいきなり仕事も順調育児家事も完璧なんてはなから無理。
私の場合は、まずは早起きして出社する生活サイクルの確立や、リモワを使った働き方のパターンを複数もつこと、健全な精神で子どもにあたるようなこともなく、体力的にこれなら続けられそうという実感値を作ること。
この半年はそのフェーズだったから、いったん仕事のパフォーマンスの質には言及しない。

そもそも復職のタイミングで異動と兼務追加があり、いきなり産前のパフォーマンスまでもってくにはハードルがある。
両立できてなさに焦って精神的に低迷したけど、あれもこれも欲張っていたのが敗因と思う。

産前からの自分の不得手な部分や悪い癖がついていたところが、復職後に増幅した形で露呈したので焦るのは当たり前なんだが。
気づけただけ良しとする。


クリアにできたから、次は仕事の生産性をより見直す。かつ、自分にとっての適量を見極める。評価の前に、自分がどうありたいかを定める。



こどもが弱ってるときには側についていること
一緒にいるときにはなるべくこどもファーストで過ごすこと
自己犠牲感を生じさせずに子どもと笑顔で向き合っていること
自分都合で子どもにあたらないこと
仕事しているときは罪悪感を感じずに良い意味で子どものことを忘れてること


とにかく大事にしたいこれらがクリアできた半年。
よかった。そういう意味では花丸あげたい。

もちろん夫や実家の母、理解ある上司のおかげでもあります。



子どもを理由に自分を我慢することはしたくない。
仕事を理由に子どもに無理強いをしたくない。
時によっては矛盾する可能性のあるこの2点を、いかに良いバランスで維持し続けるか。
まだまだ模索は続く。

今気がついた

昔あんなに好きで
青春を捧げたと言っても過言ではないほど
追いかけてた人の姿を見ても
全く胸がキュンとしなくなってしまった


愛おしいという気持ちを
全力で我が子に傾けてるせいか
テレビの中の俳優とか、昔好きだったミュージシャンとか、なんなら電車でみかけたイケメンとか、
そんなん見ても本当になにも感じなくなってしまった。
不感症ってこと??

いやーびっくり。

12/9の備忘録

今日は産後初めて一人で外出した。

 

授乳のタイミングがうまくいっていたことと、

体の凝りがえらいことになってきたので、

赤子を小一時間母に見てもらってマッサージに行ってきたのだ。

 

自宅に帰ったら平日はなかなかできないことなので、

母のすすめに甘えてプチトリップ。

 

案の定、首肩肩甲骨背中腕手首がガチガチでした。

リフレッシュ!

 

 

 

ちなみに、産前や産後直後に経産婦の諸先輩方に言われた、

意志疎通ができない赤子のお世話は煮詰まっちゃうから外に出たらいいよという助言は

今のところまだ実感できていない。

新生児を一日抱きながら見ているだけで幸せ。

外に出なくてもなんらストレスを感じない。

もちろん、まだ実家に世話になっている身だから、という甘さがあるのは重々承知。 

 

これに家事もやらなきゃ、ってなると変わってくるのかね。

だとすると、家事はマストタスクと捉えない方がいいね。

それぞれが仕事と育児をしつつ、家事は一人分ずつそれぞれでやるようにする、

というのがいいのではないだろうか。

二人分一緒に片づけた方が効率いいものは家にいる私がやるにしても、

それはあくまでマストではなく、ついでにやっている、ということで。

(だから、なんでお風呂湧いてないの、とか、洗濯してないの、ではなく、

 「私の洗濯もあるからついでに洗っといた~」「ありがと~助かる~」的な)

 

当たり前だけど、産休中が一番余裕あったな。

年明け自宅帰還後の生活が楽しみでもあり不安でもあり。

12/8の考え事

一ヶ月検診も終わり赤子は3.3キロに。

 

まだ授乳サイクルは安定しないものの、寝れないことにも体が慣れてきた今日この頃。

 

お客様ラッシュもひと段落したので、先日友人と話した時にモヤっとした出来事について書いてみる。

 

友人が二人のこどもを連れて我が家に娘に会いに来てくれた時のこと。

友人のこどもは4才のお姉ちゃんと9か月の弟くん。

 

4才となると立派に会話ができるので大人たちと一緒にテーブルに混ざり、

下の子はお母さん(友人)が抱っこしながらのティータイム。

男の子の子育てどう?という私の問いかけに友人はこう答えた。

「いやーやっぱり男の子の方がかわいいわ」

 

モヤっ。

 

 

妊婦時代、お腹の子の性別の話はさんざんしてきた。

性別がわからない段階で、男の子をほしがっていた夫。

最初の子は女の子が楽でいいわよ、という母。

男の子のお母さんぽい、という同僚。

表情が柔和なままだから女の子では、という友人。

性別が女の子とわかってから、

女の子でよかったわねとうれしそうな祖母。

 

正直私は性別にはこだわりはなかった。

なんなら病院で聞かないままでいいかとも思っていた。

しいて言えば、男女どちらも授かったら素敵だな、というくらい。

 

自分が姉妹だから女の子だと勝手がわかるな~とか

姉妹だからこそ男の子を育てるのも面白そうだな~とか

それぞれに期待値が高かったので、

女だから○○、男だから○○、というのは全く思っていなかった。

 

周りの反応をみていて、みんなそんなに性別気にするのね、と驚いたものだった。

 

 

実際に娘を産んでからも、女の子だからかわいいとかは思わない。

男の子と比較してやわらかいとか、顔つきがやはり柔和だ、というのはあるけれど、

生物学的な性差としてしかとらえておらず、

その事象と愛情には因果関係はない。娘のことは、娘個体として愛しているのだ。

 

 

二人目もほしいと思っているが、次も性別はどちらでもいい。

男の子でも、女の子でも、その子として可愛い、愛おしいと思うだろう。

また、上の子と下の子、どちらのこともそれぞれに愛おしいと思うだろう。

 

 

私の母は、姉を産み育ててから私(妹)がお腹に宿ったとき、

二人の子どもを50:50で平等に愛することができるだろうか、と思い悩んだことがあったそうだ。

自分で意識しなくても愛情が60:40とかになってしまい、40の方の子にかわいそうな思いをさせるのではないか、と。

 

ところが、その悩みは私が産まれてきたときにキレイさっぱり無くなったという。

「答えは簡単なことだったの。50:50なんかじゃなくて、100と100なのよ」

 

 

先の友人の発言に私がもやっとしたのは、

・男だからかわいい、女だからかわいくない、ということに違和感があったから。

 性差ではなくそれは個体差ではないのか。

・子どもを複数もったときに、どちらの方がかわいくでどちらの方がかわいくない、という思いになることに違和感があったから。

この2つの違和感と、友人の上の娘への配慮のなさへの憤りからだった。

 

友人は特に悪びれた様子もなかった。

4才のお姉ちゃんの方がかわいくない、という意味で言ったのではないのだろう。

ただ二人目の男の子のかわいさを彼女なりに表現した言葉だったのだろう。

仮に本当に60:40のように愛情に差を感じているのだとしても、考え方は人それぞれなので、子どもへの愛情に偏りを感じる人も実際いるのだろう。

 

だが、それを子どもの前で言葉にしてはいけない。

4才の子どもの感受性をあなどってはいけない。

親が自分以外の兄弟の方がかわいいと人に話す姿を見たとき、

その子はどれだけ傷つくだろうか。

大人はそこに思いを馳せるべきだと思う。

 

 

うまくまとまらんのだけれど、

未来の自分への自戒の念もこめて書いておく。

11/29未明の備忘録

たった今気がついたのだけど、

昨日で新生児と呼ばれる期間は終わったらしい。

生後28日未満の期間を新生児というってことを初めて知った。

もう新生児じゃないのかー。

なんてこった。

赤子の成長ってあっという間なのね。

相変わらずまだちっこいけども。

測ってないけど3キロ未だにいってないかと思われる。



28日で気がついた変化。

微笑反応

腕を頭の上まで上げられるようになった。

のびをする。

髪の毛ツンツンしてきた。

ぶつぶつが顔に。日によって分布が異なる。

皮脂が父親と同じ匂い。

耳にも皮脂がでてきた。

眉毛まつげ濃くなってきた。

小指よくたつ。

目線が合うことが増えたように思うけど、まだ見えてないらしい。

便に固形物増えた?